平成に起こった出来事のBEST10形式のランキングをご覧ください。
このランキングは、いろいろな文献やネットなどを参考にしました。
平成30年間を振り返ってみると、本当にいろいろな出来事がありましたね。
革命に大災害、凶悪事件に悲劇的な大事故・・・
何だか振り返るには、ちょっと気が重くなる出来事ばかりですが、どんな時代だったのかを平成最後になって、振り返りたくなりました。
中には目を覆いたくなる出来事もありました。
しかし、平成にさよならする前に、新しい時代をもっと良い時代にするための反省の意味も込めて、いろいろあった平成の30の主要な出来事を一緒に見ていきましょう。
平成の出来事ランキング・ベスト30
平成の出来事ランキング・ベスト10
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東日本大震災【平成23年(2011年)】
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やはり、平成の出来事と言えば一番先に思い浮かぶのがこの大災害の事です。
2011年(平成23年)3月11日に、東北と関東地方の広い範囲で マグニチュード9.0 という観測史上最大の地震が発生しました。
被害は主に東北地方で、地域によっては10mから40mにも及ぶ津波が起こり、家々や学校、幼稚園や保育園、商業施設、漁船や漁港などが浸水し、死者・行方不明者は1万8千人以上、重軽傷者が6千人以上にものぼりました。
災害当初は避難者は40万人にもなり、今もなお、避難生活を続けられている人がいます。
また、この災害によって、福島第一原子力発電所事故により、放射性物質が放出される被害にも見舞われました。
あの日わたしは
関東地方に住んでいる私自身も、この地震を経験しています。
生まれて初めての大きな揺れに驚き、薄型テレビやパソコンが倒れ、棚の中の本がほとんど床に落ちたのを目の当たりにして、恐怖を覚えました。
しかし、その日の夜まで家族に連絡を取れなかった事や、停電、スーパーやコンビニの水やパンやカップラーメン、レトルト食品、缶詰などが売り切れてしまって、その日は食べるものが無かったくらいで、実質的な被害はありませんでした。
次の日には電気も復旧して、何日間か計画停電が続いたくらいで、すぐに日常に戻ることができました。
地震の次の日にテレビを点けると、画面には見たこともない水害の風景が映し出されて、呆然としたのを憶えています。
”震源地に近い東北は、こんな事になっているんだ・・・”と。
この災害で家族を亡くされた方や、避難や転居を余儀なくされた方々、仕事を奪われてしまった方々が、早く元の生活を取り戻そうと頑張っておられます。
この方々に一日でも早く平和な日々が訪れることを願って止みません。
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地下鉄サリン事件【平成7年(1995年)】
平成7年(1995年)3月20日。
東京都心を走る5車両の 地下鉄の車内にオウムの信者によってサリンが撒かれました。
これにより、13人が死亡。6000人以上が重軽傷を負い、今でも後遺症に苦しむ人達がいます。
テレビでは、駅近くの路上にビニールシートが敷かれ、その上には、電車内でサリンを吸ったと思われる多くの被害者の方々が、横たわり、うずくまり、救護を受けている。
また、宇宙人のような防護服を来た人たちが、続々と地下鉄に入る階段を降りていく。
一体なにが起きているのか?今まで見たこともない光景でした。
そして、段々と事の真相が解明されるに連れ、なんとも言えない怒りが湧き上がりました。
これまでに連れ去りや殺害、VXガスやましてや、この前年に起こった松本サリン事件も、オウムがやったという疑いが強かったにも関わらず、はっきりと断定することが出来なかった故のこの大惨事。
こんな事が起こってから、初めて動き出す警視庁に非常に歯がゆい思いを感じていました。
無差別テロ。
この平和な日本でまさかこんな事が起こるとは・・・
何の罪も無い人に向けられる謂れのない暴力が2度と起こらない事を強く願ってやみません。
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消費税導入から増税【平成元年(1989年)】
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この年、初めて消費税というものが国民に課せられました。
竹下内閣総理大臣の時に可決成立された法律です。
ちなみに竹下首相と言えば、「ウィッシュ!」で有名なあのDAIGOのおじいちゃんですね(^_-)
やはり、高齢化に伴い、今までの所得税や固定資産税・相続税などだけでは、国の財源が存続しなくなるのなら致し方ない事です。
しかし、政治家が絡んだカネの問題が出てくると、真面目に払っている国民は、バカバカしくなりますよね。
ちゃんとした使い方をしてくれると信じて消費税の増税を受け入れるのですから、大事に使って欲しいものです。
平成元年(1989年)に消費税3%の導入の後は、それから8年後の平成9年(1997年)に5%に増税され、そして、それから7年後の平成26年(2014年)には8%に引き上げられました。
そして、今年2019年10月にさらに引き上げられ10%になると予定しています。
10%・・・1割って事ですよね^^;
消費者としては仕方ないとは言え、う~ん・・・複雑ですね^^;
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アメリカ同時多発テロ【平成13年(2001年)】
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平成13年(2001年)9月11日
イスラムの反米過激派による大規模な国際テロが、アメリカの3ヶ所の大都市で起きました。
彼らは4機の旅客機をハイジャックし、機長を殺害して自らが操縦して、 ニューヨークのワールドトレードセンターの2棟と、バージニア州のペンタゴンに激突 。
そして、もう一機は墜落したが、国会議事堂かホワイトハウスを狙っていたと言われています。
この無差別テロによる被害者は、死者2996人、負傷者6000人以上にも及ぶとされています。
あの日わたしは
テレビの中継を見ていた時、ワールドトレードセンターの1棟=ノースタワーから煙が立ち上っている映像を見て、火事か何かが起きたのかな?くらいに思って見ていました。
が、
しばらく経つと、いきなり、もうひとつのサウスタワーに飛行機が突っ込む瞬間が目に飛び込んで来ました。
え、何これ!?
これは火事でも事故でもなく、明らかに”攻撃された”のだとはっきりと分かりました。
それから、しばらくの間、噴煙立ち込める街を逃げ惑う人々を見て、大変なことが起こったんだと認識しました。
程なくして、2棟とも次々に崩れ落ちるショッキングな瞬間がテレビに映し出された時の衝撃は、今でも忘れられません。
タワーにいた人々だけではなく、救出活動をしていた消防士や警察官の多くも命を失ったと聞き、なんとも言えない悲しい気持ちになりました。
10年後、アルカイダのリーダー、オサマ・ビンラディンは捉えられ、殺害されたのですが、この事件は、後のイラク戦争に発展してしまいます。
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拉致被害者帰国【平成14年(2002年)】
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この年、初めての日朝首脳会談が行われ、金正日は日本人の拉致を認め、謝罪しました。
この時、拉致被害者は17人と公式に認めたが、飛行機から降り立った日本人は5人でした。
拉致から24年振りに帰国したのは、 地村保志さん、地村富貴惠さん、蓮池薫さん、蓮池祐木子さんと曽我ひとみさん 。
残りの12人については、北朝鮮側は「8人死亡、4人は入境せず」と主張しました。
これに対して日本政府は、全員が生存しているはずだという認識で、今でも拉致問題の解決に取り組んでいます。
この後、曽我ひとみさんのアメリカ人の夫が、日本に来られたんですよね。
曽我さんが、タラップに降り立ったジェンキンスさんに駆け寄り、強く抱きしめてキスしたあの光景には驚かされました。
愛しているんだなぁと。
曽我ひとみさんは北朝鮮でアメリカ人の元兵士ジェンキンスさんと結婚して、お子さんも2人いらっしゃって、2人とも日本に帰って来ましたね。
5人が飛行機から降り立った時は感動して、思わず手を叩いてしまいました。
日本に来られてどんなに嬉しかったことでしょう。
しかし、未だに拉致されている人たちが沢山いるはずです。
本当に、その人達のご家族がお元気なうちに帰ってきてくれることを強く願います。
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バブル崩壊【平成3年(1991年)】
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景気の急速な低迷によって起こった経済現象をバブルの崩壊と言いました。
日本の一時の好景気(バブル)は1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月までの51か月間続きました。
バブルによる株価の急激な下落によって、景気が急激に悪化し、企業の倒産、失業率が上がり、就職難が発生しました。
不動産の資産価値も下落して、馬鹿高い住宅ローンだけ残り、それを払えずにマイホームを売る人も少なくありませんでした。
銀行の破綻も相次ぎました。
ちなみにバブル期の象徴として、ミラーボールの下のお立ち台にボディコン&ワンレンのお姉ちゃんが羽の扇子を持って腰をフリフリ踊ってるディスコと言えば、ジュリアナ東京ですよね。
でも、ジュリアナはバブルが弾けだした頃のこの年にオープンしたんですよ。
これって意外と知られてないかも(^^)
とにかくそんなわけで、バブル崩壊から20年に渡って、ずっと景気は低迷し続け、「失われた20年」と名付けられました。
2013年に行われた金融緩和政策で景気が良くなった そうですが、う~ん、イマイチ実感がないかなぁ^^;
みなさんはいかがですか?
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阪神淡路大震災【平成7年(1995年)】
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平成7年(1995年)3月11日
兵庫県淡路島北部を震源とし、神戸市などで震度7を記録する大地震が起きました。
この災害によって、6400人以上が死亡、43000人以上が重軽傷を負うという最悪の事態に。
神戸市を中心とした阪神地域の被害が甚大で、死亡した72%の方が、建物の倒壊や家具の転倒による窒息死、圧死だったそうです。
あの日わたしは
朝起きてニュースを見たら、テレビには 建物や高速道路がズタズタに壊れて、ものすごい惨状 になっている街の映像が映っていました。
兵庫県を中心に起こった地震と聞いて、慌てました。
というのも、大事な大事な親友が住んでいる街だからです。
すぐさま電話を掛けましたが通じない・・・
自宅に、職場に、実家にも電話しました。でも、いくら掛けても電話がかからないんです。
もう、絶望的になりました。
一日中、テレビの前で電話をかけ続けました。
しばらくすると、遺体を安置している体育館や施設ごとに亡くなられた人の名前がテロップで流れる。
どうか名前がありませんようにと思いながら、食い入るように見ていました。
ただ、もう生きていて欲しいと願うだけで、ワンワン泣きながら、見続けました。
次の日、私の必死の願いは叶い、その親友から電話がありました。
良かった、生きてた。
5時46分52秒という早朝に起こった地震で、しかも、1月の寒空の中、3歳の子どもを抱いて、スリッパのまま避難所に逃げたそうです。
この時の思い出は、連絡が取れるまで、3ヶ月の我が子の世話をしながら、ずっとテレビを見て、電話を掛け続けたという事だけです。
こんな私みたいな思いをした人は、きっと沢山いるのでしょうね。
関西に実家があったり、友達や恋人、家族が住んでいたり、出張してたり。
もう二度とこんな災害は起こって欲しくない!という思いも虚しく、この後、各地で様々な災害が起こる事になるとは想像もしていませんでした。
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ベルリンの壁崩壊【平成元年(1989年)】
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東ドイツ政府が旅行や国外移住の大幅な規制緩和を発表した夜に、ベルリン市民がベルリンの壁に殺到し、翌日、ベルリンの壁の撤去作業が始まりました。
こうして28年もの間、東西を分けていたこの壁の崩壊によって、 東ドイツでは次々と共産党政府が倒されました。
翌年、平成2年(1990年)東ドイツが西ドイツに合併する形で、ドイツ連邦共和国として新しい国家が誕生したのです。
東から西へ逃れたくて、今まで多くの人がこの壁を乗り越えようとして、逮捕されたり、射殺されたり、河で溺死をしたりしたんですよね。
そんな悲しい歴史に終止符を打ったこの出来事は、テレビで見ていても、なんか胸に熱いものがこみ上げてくるというか、スカッとするというか・・・
いろいろな感情がこみ上げて来ました。
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皇太子さまご成婚【平成5年(1993年)】
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皇太子さまと小和田雅子さんの結婚の儀は、何と言っても外せませんよね(^^)
6月9日、日本中がお祝いムード一色になりましたね。
中でも宮中で行われた 雅子様の十二単を纏った結婚の儀 は、時代をさかのぼったような夢のような絵巻物を見ているようで、その神聖な雰囲気に圧倒されました。
また、東京都心をロールスロイスに乗ったお二人が、沿道にあふれる人々に微笑みながら手を振っていたご成婚パレードを見た時は、こんな素晴らしい光景を見られるなんて(;_;) と、幸せを噛み締めたものです。
森英恵デザインのローブ・デコルテが、雅子さんの華やかさを一層引き立てていて素敵でしたね。
お二人がご結婚に至る経緯も、テレビの報道を通じて長いこと見聞きしていたからこそ、私たちの喜びもひとしおでした。
ハーバード大学を優等で卒業。東大法学部に学士入学して、わずか6ヶ月後には外交官試験に合格し、外交官としてキャリアを積んでいた雅子さん。
その雅子さんに皇太子が幾度となく結婚をお願いするも、ずっと断り続けていた雅子さん。
それでも皇太子は、「雅子さん以外考えられない」と、ずっと何年もあきらめずにアタックし続けて、ようやく雅子さんに結婚を受け入れてもらえたのです。
見ているこっちは、どうなる事かとヤキモキしていましたが、ニュース速報でご婚約内定という文字を見た時は、まるで親戚の気分で喜んだ事を憶えています(笑)。
めでたしめでたし。
と思いきや、皇室に入った雅子様の長年の苦悩に少なからず心を痛めたのは私だけでしょうか。
しかし、今年はいよいよ、そのお二人が天皇皇后となられます。
新しい時代も、お二人ともお元気で過ごされますように。
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イラク戦争【平成15年(2003年)】
アメリカ大統領ジョージ・ブッシュがアメリカ同時多発テロの発生に対し、「テロと戦い」を掲げ、テロリスト集団とテロ支援国家を根絶する意向を強く示しました。
アメリカは、テロ組織 アルカイダとイラク政府が繋がっている と考えました。
つまり、イラクはアルカイダのテロを支援していると判断したのです。
ここからイラク戦争へと向かう流れや終結へ至る経緯とその後を少し見ていきましょう。
平成3年(1991年)湾岸戦争勃発
イラクがクウェートに侵攻した事を理由に軍事介入する形で、 アメリカを中心とした多国籍軍がイラクを空爆 したことからはじまったのが、湾岸戦争です。
戦争はイラクの停戦合意(イラクの大量破壊兵器の破棄)とクエートからの撤退で、数ヶ月で終わりました。
しかし、イラク側が合意する姿勢を示しませんでした。
平成15年(2003年)3月 イラク戦争
そこで、アメリカ合衆国、イギリス、オーストラリア、ポーランド等の有志連合が、イラクの最高権力者サダム・フセイン大統領の政権を打倒する目的でイラクへ侵攻したことが、イラク戦争の始まりでした。
数週間後に有志連合は首都バクダッドを陥落し、これにより逃亡したサダム・フセインを捕らえ、2006年に絞首刑にしました。
しかし、これで戦争は終わりませんでした。
サダム・フセインの残党に扇動された武装勢力イスラム過激派がイラクに押し寄せました。
アメリカを始めとする有志連合軍は、この混乱に巻き込まれ、そして多くの死傷者を出しました。
また、アメリカの支援で作られたイラクの新政権や治安部隊も過激派や反対勢力の反乱に巻き込まれてしまいます。
平成23年(2011年)イラク戦争終結
このような国内の反乱の激化によって8年間続いた戦争は、2009年に就任したオバマ大統領がイラクからの米軍を撤退させた事によって2011年にイラク戦争が終結しました。
その後のイラク
とはいえ、米軍が撤退した後もイラク国内はずっと不安定で、その混乱の中、過激派組織のISISがイラクを支配してしまいます。
そこで再びアメリカ軍は、このISISと戦うために、2014年に戦闘に参加。
加えて、隣国シリアでも内戦が起こるなど、イラク戦争はまだ続いていると言えるのです。
イラク戦争による被害
イラク戦争による死傷者は50万人を超えました。
一方、アメリカ軍の兵士も4487人が死亡し、32,223人が負傷しました。また、8人に1人がPTSDに苦しんでいるのです。
こうして振り返ってみると、イラク戦争とは何だったのでしょうね・・・
報復には報復を・・・を繰り返しても、戦いは決して終わることなんてないんですね。
日本の自衛隊の派遣
そして何より問題なのは、我が国、日本もこのイラク戦争で、戦後初めて、実質的にアメリカ軍に加担したのです。
2004年に成立した「イラク特別措置法」によって、人道支援の名の元に自衛隊を派遣しました。
非戦闘地域とは言え、戦争をしている所に自衛隊が出向いたのです。
平成の出来事ランキングのまとめ
いかがでしたか?
あらためてこうして振り返ってみると、本当に歴史が動いた瞬間や衝撃的な事件、次々に起こる大災害など、つくづく”激動の時代だったなぁ”と思わずにはいられません。
しかし、悪い出来事ばかりではなく、皇太子さまや秋篠宮さまのご結婚、東西ドイツの統一など明るい話題もありましたね。
さて、もうすぐ終わってしまう私たちの平成。
次の世は、きっと良い事がたくさんあると信じて、平成にさよならを告げましょう。
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昭和元年から64年までの出来事を33問のクイズで振り返りながら答えてくださいね!