70年代ヒット曲の中からカラオケで絶対に盛り上がる曲を私なりに厳選しました。

主に70年代年から80年代にかけての、当時スーパーアイドルと呼ばれた人たちのヒット曲を中心に紹介します。

今55歳の私が、昭和40年から60年代というと幼稚園生から高校生の時で、その時が一番、アイドルに夢中で、テレビにかじりついていた時代なんじゃないかなと思うのです。

その時代は、ポップスはモチロン、フォーク、ロック、ニューミュージック、テクノポップと、本当に多岐に渡って、色んな音楽が生まれた贅沢な時代で、もっといろんな音楽を紹介したかったのですが、今回は、誰もが口ずさめるアイドルの曲に絞ることにしました。

昭和生まれの50代の私達が、カラオケで盛り上がると言ったら、誰もが共有している時代の思い出が籠もった70年代ヒット曲が一番なんじゃないかなと思うのです。

50代の人たちがみんな知っている曲は、本当に沢山あります。

そんな宝物を放って置く手はありません。

さあ、みんなで70年代ヒット曲をカラオケで唄って、大いに盛り上がりましょう!



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70年代のヒット曲で昭和生まれの50代もカラオケで盛り上ろう!

喝采 ちあきなおみ(昭和47年09.10) 作詞:吉田旺 作曲:中村泰士


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『喝采』は、「第14回日本レコード大賞」(昭和47年)の大賞を受賞しました。

この歌の歌詞の内容が、3年前に止める恋人を振り切って汽車にひとり乗って、歌手になる道を選んでしまった主人公の元に、その時の恋人の訃報が届くという悲しいもの。

そんな歌詞と同じような体験をちあきなおみも過去にしていたという話はを知ってますか?

彼女の独特な色気と声で、この歌の唯一無二の世界を創り上げて、聞く人の心を捉えて離さないのですよ。

小さいときも何か惹かれていたけど、大人になってから聞くとより一層、その深さが胸に沁みます。

また逢う日まで 尾崎紀世彦(昭和46年03.05) 作詞:阿久悠 作曲・編曲:筒美京平


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第13回日本レコード大賞と第2回日本歌謡大賞(昭和46年)をダブル受賞しました。また、第44回選抜高等学校野球大会の入場行進曲にも選ばれました。

独特なモミアゲがカッコよくて、”あんなモミアゲ見たことない!”、”歌手ってカッコいいなぁ~”と思ったものです。

すごい声量で歌い上げる姿に圧倒されました。

どうにもとまらない 山本リンダ(昭和47年06) 作詞:阿久悠 作曲:都倉俊一


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第14回日本レコード大賞作曲賞(昭和47年)、日本歌謡大賞放送音楽賞を受賞。

赤いド派手なシャツをおへその上で縛って、裾に切れ目が入ったパンタロンにヒールという過激なファッションで、腰を振り切れるほど振って踊る山本リンダは、当時、小学校3年生だった私を釘付けにしました。

口開けて見入ってましたもん(笑)。

そんな私は当然、『どうにもとまらない』のシングルカットのレコードをレコード屋さんに買いに走ったものでした。

モチロン学校の教室では山本リンダのマネをする子が続出で、休み時間は大騒ぎ。

山本リンダはこの後も、『狂わせたいの』『じんじんさせて』『狙いうち』『燃えつきそう』『ぎらぎら燃えて』『 きりきり舞い』と次々に情熱的で激しいアクションの歌をヒットさせていったのです。

特に『狙いうち』は、高校野球の応援歌の定番になりましたよね。

彼女はその後に続く「アクション歌謡」の先駆けと言えるのかもしれません。

17才 南沙織(昭和46年06.01) 作詞:有馬三恵子 作曲・編曲:筒美京平


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50代半ば(ハッキリ言うと55歳(笑)。)の私は、この時、小学校2年生。

生まれて初めて”アイドル”というものに遭遇したのが、南沙織だったかもしれません。

しかも、当時まだ日本に返還されていなかった沖縄という遠い所からやって来た少女ということで、彼女がどれだけ新鮮に映ったことでしょう。

「シンシア」の愛称で黒く艶めく長い綺麗な髪。小麦色の肌。

そんなお姉さんが、砂浜を恋人と走って、「捕まえに来てよ!」なんて言っちゃう歌を唄っている(*´∀`*)

青春への憧れが芽生え始めたキッカケになった歌と言っても過言ではありません。

南沙織は、この後、何曲かヒット曲を出して、有名写真家の篠山紀信さんの元へ嫁いで行きました。

※沖縄のが返還された年は、『17才』が発売された昭和46年の翌年の昭和47年のことでした。

恋する夏の日 天地真理(昭和48年07.01) 作詞:山下路夫 作曲:森田公一


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この歌が好きだった~!

白いテニスのユニフォームみたいな衣装を着て天地真理が唄うんだけど、それが可愛くて、テニスウエアに憧れたわ♡

『恋する夏の日』は、朝もやの中、一人テニスコートで、木立の中を自転車を漕いでやって来る彼を待ってるっていうシチュエーションなんだけど、彼氏と一緒に毎朝、テニス三昧の日々を送った思い出の夏の事を夢いっぱいに唄ってる歌なんです。

この歌の中に、ちょこっと手で振り付けるところが特徴的で、みんな真似したものです。

カラオケで唄うなら、この振り付けはマストですよ!

真理ちゃんの歌は、他にもこんなのが好きです。

『水色の恋』
『ひとりじゃないの』
『ふたりの日曜日』
『虹をわたって』
『恋と海とTシャツと』

大好きな彼氏と明るいデート♡みたいな曲が多いですよね(^o^)

わたしの城下町 小柳ルミ子(昭和46年04.25) 作詞:安井かずみ 作曲:平尾昌晃


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「第13回日本レコード大賞」の最優秀新人賞を受賞。

小柳ルミ子のデビュー曲です。

当時は、八重歯が可愛い薄化粧の乙女だったんですよね(笑)。

歌も日本情緒溢れる風景が浮かぶようなしっとりとした演歌風な歌でした。

続く『瀬戸の花嫁』も大ヒットしましたよね。

今、小柳ルミ子どうしちゃったんでしょうね~(^o^)なんでサッカーにのめり込んでるんでしょう?

まぁでも、いつまでも若くて元気なのが何よりですね。

あ、ちなみに、当時、小柳ルミ子、天地真理、南沙織が、”新・三人娘”って言われてたの知ってましたか?

私は、うっすらとしか憶えてません。

ひなげしの花 アグネス・チャン(昭和47年) 作詞:山上路夫 作曲・編曲:森田公一 編曲:馬飼野俊一


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台湾から来たアグネス・チャン。

その片言の日本語のまま唄う唄い方に特徴があって、ものまねタレントを筆頭に、日本中の若者が”おっかのう~え~”とアグネスのマネをしたほど。

『ひなげしの花』の他にも、『草原の輝き』、『小さな恋の物語』、『星に願いを』とヒット曲が何曲もあります。

しかし、以外にも学問を重んじる家庭で育ったせいか、日本で上智大学に通い、さらに、歌手活動を一旦お休みして、トロント大学に留学、さらに高みを目指し、スタンフォード大学大学院教育学博士課程を修了してしまうという偉業を成し遂げました。

今では彼女は立派な文化人として世界を飛び回っていますね。

わたしの彼は左きき 麻丘めぐみ(昭和47年) 作詞:千家和也 作曲:筒美京平 編曲:筒美京平


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第14回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞した。

昭和47年6月5日『芽ばえ』でデビュー。

ロングヘアーで、お姫様みたいに耳のところだけ短くカットした”姫カット”が可愛くて、大好きでした。

スレンダーで足が長くて、本当に「ザ・アイドル」という感じで、当時のVTRを今見ても、今でも全然通用するほどのアイドルっぷりですよ♪

一度、結婚して引退したみたいだけど、離婚を期にまた芸能界に復活して、女優として活躍しています。

麻丘めぐみは意外にも、森昌子、郷ひろみと同期なんですね。もっと前にデビューしてるのかと思いました^_^

他のヒット曲は

『アルプスの少女』
『女の子なんだもん』
『森を駈ける恋人たち』

などがありますよ♪

勝手にしやがれ 沢田研二(昭和52年05) 作詞:阿久悠 作曲:大野克夫 編曲:船山基紀


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第19回日本レコード大賞を受賞。そのレコード大賞では、歴代最高視聴率の50.8%を叩き出しました。第8回日本歌謡大賞受賞。

「ザ・タイガース」時代はリアルタイムには知らない私は、ソロになってからのジュリー(沢田研二)の曲なら全部唄えるというほど、大好きでした。

ソロ初のシングル昭和48年(1973年)4月21日発売の『危険なふたり」は、65万枚を売り上げて、ソロ初のオリコン1位を獲得。第4回日本歌謡大賞を受賞しました。

その後も

『時の過ぎゆくままに』
『コバルトの季節の中で』
『サムライ』
『カサブランカ・ダンディ』
『OH! ギャル』
『TOKIO』
『恋のバッド・チューニング』
『ス・ト・リ・ッ・パ・ー』
『色つきの女でいてくれよ』

とヒットを飛ばし、曲に合わせて、映画のハンフリー・ボガードのような格好をしたり、パラシュートを背負ったり、当時まだ誰もやったことがなかったカラーコンタクトを入れたりして、私達を驚かせてくれ、楽しませてくれました。

ジュリーほどオシャレでカッコいい男性がこの世にいるのだろうか?と思ってしまうほどでしたよ。

そんなジュリーは今では、かなりの貫禄があるおじいちゃんになって、そのありのままの姿で唄ってますよね(^^)

それはそれでやっぱりカッコいいなぁって思います。

個人授業 フィンガー5(昭和48年) 作詞:千家和也 作曲:都倉俊一


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フィンガー5が出てきた時の衝撃は今でも忘れられません。

だって、メンバーの中の妙子ちゃんは、当時小学校5年生で、私と同い年だったんですからね!

兄弟で、しかも今まで聞いたことのない音楽で、メッチャ「イカしてる~~~~!!」って、テレビにかじりついて見てました。

同様に小学生だった晃のハイトーンボイスを真似たりね(^_-)

でも、晃が段々、思春期になるに従って、あの声が出なくなっていくのと比例するかのように、人気が低迷していきましたね。

とにかく、あの時のフィンガー5の出現によって、私の中の何かが変わったような気さえしています。

他にも素敵なヒット曲がいっぱいありますよ♪

『恋のダイヤル6700』
『学園天国』
『恋のアメリカン・フットボール』
『恋の大予言』

赤い風船 浅田美代子(昭和48年04.21) 作詞:安井かずみ 作曲・編曲:筒美京平


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オリコンでデビュー曲初登場1位。

『時間ですよ』劇中で屋根の上に座って、天地真理、堺正章と一緒に唄った歌ですね♪

”あの 子は どこーーーーの子っ”って唄いながら黒目を上にクルクルって動かすあの唄い方をみ~んな真似しましたよね(笑)。

『時間ですよ』もそうだけど、『寺内貫太郎一家』でもお手伝いさん役で、ちょっと鈍くさいけど可愛いってイメージで人気でしたね。

今も天然キャラで活躍されてるけど、本人は「歌を唄うのが嫌だった。」って言ってました。

でも、その音程が外れてたとこもまた彼女の個性だったのかもしれません。

他のヒット曲

『ひとりっ子甘えっ子』
『しあわせの一番星』
『わたしの宵待草』

激しい恋 西城秀樹(昭和49年05.25) 作詞:安井かずみ 作曲:馬飼野康二


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”ワイルドな17歳”のキャッチフレーズで昭和47年にデビューした秀樹。

もうほんっとーーーーに大大大大大大好きでした♡

秀樹ファンと公言してた時代は、小学校高学年くらいの時で、ファン歴は意外と短いんですけど、今まであんなに誰かに熱を上げたことは、秀樹が最初で最後かも知れません。

もうね、本当に秀樹、カッコよかったんですよ!

みなさん秀樹って言うと、『ヤングマン』っていうけど、それ以前の曲の方が秀樹らしさ全開なんですよ。

カラオケで唄うなら、絶対にオススメなのが、『激しい恋』『ちぎれた愛』『薔薇の鎖』『傷だらけのローラ』です。

秀樹ファンなら、絶対にこれ盛り上がります。

私鉄沿線 野口五郎(昭和50年01) 作詞:山上路夫 作曲:佐藤寛 編曲:筒美京平


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第17回日本レコード大賞・歌唱賞、第6回日本歌謡大賞・放送音楽賞、第8回日本有線大賞・グランプリを受賞。

昭和46年5月1日『博多みれん』でデビューした五郎でしたが、そのデビュー曲は全く売れなかったらしいですね。

で、翌年出した『青いリンゴ』がヒットして人気が一気にうなぎ登りに。

五郎は、どちらかと言うと歌唱力を武器にしているアイドルで、どれも演歌調のポップスでした。

でも、それが結構良くて、秀樹ファンの私も、『私鉄沿線』は大好きな曲でした。

これって、五郎の実のお兄さんが作曲したことでも話題になりましたね。

お兄さん、普通のサラリーマンらしいんですけど、メッチャ音楽の才能あると思いませんか?

あ、あとオマケの五郎情報をひとつ。彼はコントのセンスも抜群でした(笑)。

『カックラキン大放送!!』での研ナオコとのコント、結構面白かったんですよ(^o^)

ちなみに、五郎はシークレットブーツを常に履いてるって噂は本当だったのかな?

だって当時の男性アイドルの命は、背の高さと足の長さでしたから。

五郎の他の名曲はこちら

『オレンジの雨』
『君が美しすぎて』
『甘い生活』

よろしく哀愁 郷ひろみ(昭和49年09.21) 作詞:安井かずみ 作曲:筒美京平 編曲:森岡賢一郎


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昭和47年8月1日に『男の子女の子』でデビューして以来、『裸のビーナス』、『モナリザの秘密』、『花とみつばち』と中性的な感じの歌を唄っていた郷ひろみが、『よろしく哀愁』でいきなり男らしいイメージで唄った歌なんですよ。

しかもメッチャ名曲で、郷ひろみの歌の中で一番好きな歌は?と聞かれて、『よろしく哀愁』と答える人が多いんです。

そうそう、そう言えば新御三家について話すのを忘れてました。

新御三家と言えば、西城秀樹、野口五郎、郷ひろみですが、一番、女の子から人気があったのって、当時の感触からいって(あくまでも私のですが)、やっぱり郷ひろみなんですよね。

何しろ一番可愛かったですからね(笑)。

郷ひろみの他のヒット曲はこちら

『お化けのロック』
『林檎殺人事件』
『ハリウッド・スキャンダル』
『お嫁サンバ』
『2億4千万の瞳 -エキゾチック・ジャパン-』

せんせい 森昌子(昭和47年07.01(1972年)) 作詞:阿久悠 作曲:遠藤実 編曲:只野通泰


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森昌子は、日本テレビ『スター誕生!』の初代グランドチャンピオン昭和46年(1971年)なんですよね!

しかも、なんと当時13歳で、どこからどう見ても普通の少女だった彼女が、一つだけ他の子と違ってたのが、その類まれなる歌唱力。

本人は、親戚のおばさんに「服を買ってあげるから」と言って『スタ誕』のオーディション会場に連れて行かれて、無理やり歌わされたんだという話はあまりにも有名ですよね。

その『スタ誕』は、当時の子どもたちの大人気番組で、まだ中学1年生くらいの子がオーディションを受けて、認められれば即スターになれるという夢のような瞬間を見たくて、みんな見てたんですよ。

彼女は、そこで初めてチャンピオンになったわけですから、デビューの時の話題性も半端なかったです。

私も『せんせい』のレコード、しっかり買いましたしね(笑)。

この曲も50代が今カラオケで唄うなら、盛り上がること間違いないです。

ちなみに森昌子って、ONE OK ROCK(ワンオク)ヴォーカルtakaの実のお母さんという事、これも有名ですよね。

森昌子の他のヒット曲

『中学三年生』
『おかあさん』

『越冬つばめ』
で第25回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。

わたしの青い鳥 桜田淳子(昭和48年08.25(1973年)) 作詞:阿久悠 作曲:中村泰士


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第15回日本レコード大賞最優秀新人賞・第4回日本歌謡大賞放送音楽新人賞他、その他の新人賞を総なめにしました。

昭和48年(1973年)2月25日『天使も夢みる』でデビューした桜田淳子は、「スター誕生」で森昌子に次ぐグランドチャンピオンでした。

確かに桜田淳子は、本当に可愛かったです。

デビュー当時は、いつも横にさくらんぼのアクセサリーを付けた白いキャスケットを被っていて、それが何時しか、”エンジェルハット”と呼ばれ、彼女のトレードマークになりました。

私も、親にせがんで買ってもらった記憶があります(笑)。

可愛くて、スタイルも良くて、そうそれだけでアイドルの素質十分という感じでした。

そんな淳子ちゃんは生憎、歌では山口百恵のように花開くことは出来ませんでしたが、舞台をキッカケにお芝居の世界に行くと、素晴らしい才能を発揮したんですよね!

昭和55年(1980)年の初主演ミュージカル『アニーよ銃をとれ』では、芸術祭大衆芸能部門(2部)優秀賞を当時史上最年少で受賞するなど、他にも多くの賞を取ってましたね。

テレビドラマでも、いい演技を見せてくれました。

百恵が引退して、さて、これから大女優の道を歩み始めるかという時に、あの事が起こってしまって・・・。

彼女に関しては、見るものにとっては残念としか言いようがありません。

でも、60歳になった彼女が、1日限定のライブをたまにやっているというニュースを知って、観てみたいなぁという気持ちが無いでもないんですよね。

せっかく才能があるんだから、もっと堂々とみんなの前に出られるようになってくれればと願うばかりです。

ヒット曲も数多くありますよ♪

『はじめての出来事』」(オリコンチャート第1位)
『十七の夏』
『夏にご用心』
『気まぐれヴィーナス』
『サンタモニカの風』

ひと夏の経験 山口百恵  (昭和49年06.01(1974年)) 作詞:千家和也 作曲:都倉俊一 編曲:馬飼野康二


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第16回日本レコード大賞・大衆賞、第5回日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞。

森昌子、桜田淳子に続き、百恵も「スター誕生」出身者です。

そして、同い年の3人は「花の中三トリオ」になり、高校3年生までずっと、「花の~トリオ」と呼ばれていました。

ハッキリ言って、百恵がデビューした時は、”きっとすぐに消えるんじゃないかな?”と不覚にも思っていました。

それは、他のアイドルに比べて、あんまり笑わないし、ミニスカートじゃなくてロングスカートしか履かないし、何となく暗いし・・・という印象を持ってたんですね。

ところがドッコイです。

『横須賀ストーリー』あたりから、百恵独特の世界に魅力を感じる人も増えて来て、阿木燿子・宇崎竜童コンビの楽曲を唄う毎に、違う彼女の一面を魅せつけてくれてました。

また、女優としての才能もすごくて、歌では、不良っぽい娘を演じるかと思えば、映画では、古き良き日本の文学作品でしとやかな女性を演じる。

その振り幅というか、その時々に与えられた役になる、その憑依っぷりが、もう”神”レベルでした。

百恵のことを”菩薩”と呼ぶ人もいるけど、本当にそんな感じ。

”菩薩”というか、”女神”というか、もうそのオーラが半端なかったです。

中でも、私は、ドラマの『赤いシリーズ』の『赤い疑惑』が大好きでした。

毎週、テレビの前で、完全に「幸子」になってましたもん(笑)。

百恵のヒット曲はこちら

『としごろ 』
『青い果実』
『ちっぽけな感傷』
『伊豆の踊子』
『夏ひらく青春』
『ありがとう あなた』
『横須賀ストーリー』
『イミテイション・ゴールド』
『プレイバック Part2』
『絶体絶命』
『美・サイレント』
『ロックンロール・ウィドウ』
『愛染橋』
『いい日旅立ち』
『秋桜』
『さよならの向う側』

年下の男の子 キャンディーズ(昭和50年02.21(1975年)) 作詞:千家和也 作曲:穂口雄右


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ラン、スー、ミキの3人は中学生の頃、スクールメイツ(渡辺プロダクション)に入って、そこで知り合ったという話はあまりにも有名ですね。

キャンディーズで憶えているのは、いつも3人で、ドリフの『8時だョ!全員集合』の体操コーナーに体操着のショートパンツを履いて出てて、マットの上ででんぐり返しをやってた場面です。

いつもスーちゃんが出来なくて、笑われてみたいな感じで(笑)。

でも、その頃、あんまりヒット曲もなくて、アイドルなのか何なのか?よく分からなかったですね。

そんなキャンディーズも、昭和48年9月1日に『あなたに夢中』で、デビューしました。

最初はあまり売れなかった彼女たちも、『年下の男の子』から、センターがスーちゃんからランちゃんになった途端、爆発的にヒットして、後はもうみんなの知る通り、名曲をたくさん出しました。

そんな彼女らも、人気絶頂の時に解散。

今は、私の大好きだったランちゃんが、女優として頑張っていますね♪

キャンディーズの代表曲がこんなに沢山ありますよ。

『あなたに夢中』
『危い土曜日』
『年下の男の子』
『その気にさせないで』
『ハートのエースが出てこない』
『春一番』
『夏が来た!』
『やさしい悪魔』
『暑中お見舞い申し上げます』
『アン・ドゥ・トロワ』
『わな』
『微笑がえし』

サウスポー ピンク・レディー(昭和53年03.25(1978年)) 作詞:阿久悠 作曲:都倉俊一


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ピンク・レディーの2人は、高校の同級生で地元静岡のヤマハ音楽学校に一緒に通っていました。

そこで歌の勉強をし、「スター誕生」を経て、昭和51年8月『ペッパー警部』でデビュー。

本当は”フォークデュオ”として唄いたかった2人が、阿久悠・都倉俊一のプロデュースで、唄って踊るセクシー路線の歌手となったのです。

もう、デビュー曲から大ヒットで、出す曲、出す曲がミリオンセラーで、次々に歌謡界の記録を塗り替えて行きました。

当時、中学2年生だった私も、ご多分に漏れず、ピンク・レディーの曲の振り付けを憶えて、友達と一緒に踊って唄ったものです。

そして、クラスのみんなでミー派かケイ派かという事で盛り上がりました。

ヒット曲を次々に出していた人気絶頂の時に、アメリカに進出すると言って、アメリカに渡ってしまい、帰国した時には、何となく世間のピンク・レディー熱が冷めて行き、解散という流れになって行ったような感じですね。

あれほどの人気を博したピンク・レディーの解散コンサートが、閑散として寂しいものだったというのは、あまりにも悲しい結末でした。

でも、今でも2人は時々、再結成して、ピンク・レディーとして、当時のファンを喜ばせてるようです。

そして、私達50代がみんな唄って踊れるピンク・レディーの歌は、カラオケではとても盛り上がるんですよ(^_-)

ピンク・レディーの超大ヒット曲はこちら

『ペッパー警部』
『S.O.S』
『カルメン’77』
『渚のシンドバッド』
『ウォンテッド』
『UFO』1978年 第20回日本レコード大賞」を受賞。
『サウスポー』
『モンスター』
『透明人間』
『カメレオン・アーミー』
『ジパング』
『波乗りパイレーツ』



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80年代のヒット曲で昭和生まれの50代もカラオケで盛り上ろう!

青い珊瑚礁 松田聖子(昭和55年07.01(1980年)) 作詞:三浦徳子 作曲:小田裕一郎 編曲:大村雅朗


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この歌は、昭和56年(1981年)春開催の第53回選抜高等学校野球大会の入場行進曲に採用されました。

昭和55年4月に『裸足の季節』でデビューした聖子。

意外にも、このデビュー曲ではブレイクはしませんでしたが、その後の『青い珊瑚礁』がジリジリとヒットして、TBS「ザ・ベストテン」の第1位を初めて獲得。

この時、この年に引退する山口百恵と最初で最後の共演となり、百恵から「(『青い珊瑚礁』が2週連続1位で)おめでとうございます。これからも頑張ってください。」と声を掛けてもらい、感極まっていた姿が印象的でした。

一世一代の世代交代の瞬間だったような気がします。

その後の聖子の活躍はもうみんなの知るところですね^_^「聖子ちゃんカット」に「ぶりっ子」という時代を象徴する髪型、言葉を流行らせて、奔放な私生活でも、いろんな意味で私達を楽しませてくれました。

今もバリバリの現役で頑張ってる聖子。

聖子は、百恵とはまた違うタイプの伝説を芸能界にしっかりと刻みましたね。

聖子の大ヒット曲の数々です。50代の人は、みんな唄えるはずです(笑)。これらの歌を唄えば、カラオケでも盛り上がる事間違いなしですね♪

『青い珊瑚礁』
『風は秋色』
『チェリーブラッサム』
『夏の扉』
『白いパラソル』
『風立ちぬ』
『赤いスイートピー』
『渚のバルコニー』
『小麦色のマーメイド』
『野ばらのエチュード』
『秘密の花園』
『天国のキッス』
『ガラスの林檎』
『SWEET MEMORIES』
『瞳はダイアモンド』
『Rock’n Rouge』
『時間の国のアリス』
『夏服のイヴ』
『ピンクのモーツァルト』
『ハートのイアリング』
『天使のウインク』
『ボーイの季節』
『大切なあなた』
『輝いた季節へ旅立とう』
『あなたに逢いたくて〜Missing You〜』

ハッとして!Good 田原俊彦(昭和55年07.01(1980年)) 作詞:宮下智 作曲:宮下智 編曲:船山基紀


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初登場でオリコン1位を獲得。62万枚を超える大ヒットをしました。

さらに、この年の第22回日本レコード大賞で、最優秀新人賞を受賞しました。

この曲を使ったグリコアーモンドチョコレート・セシルチョコレートのCMでは、松田聖子と恋人同士というシチュエーションで出演し、ファンをヤキモキさせたんですよね(*´∀`*)

何しろ、初代『3年B組 金八先生』に出演した途端、女の子からの人気は相当なもので、『哀愁でいと』で歌手デビューした時はもう、ヤバいくらい人気絶大でしたから。

『教師びんびん物語』では、役者としてもその才能を発揮し、大ヒットドラマとして今も語り継がれるほどですよね。

次の年に近藤真彦、その次の年に野村義男と次々にデビューすると、「たのきんトリオ」として、コンサートをしたり、映画を製作したりして、時代はすっかり「トシちゃん」と「たのきんトリオ」のものでした。

でも、それも長くは続かず、トシちゃんの「俺ってビッグ!」発言で、長いこと芸能界から干されることになってしまったのでした。

最近は、『爆報フライデー』に出演したり、コンサートを開くなど、また芸能活動を再開させています。

田原俊彦のヒット曲はこちらです。

『哀愁でいと』
『恋=Do!』
『悲しみ2(TOO)ヤング』
『君に薔薇薔薇…という感じ』
『NINJIN娘』
『夏ざかりほの字組』
(研ナオコとのデュエット)
『抱きしめてTONIGHT』
(フジテレビ系ドラマ『教師びんびん物語』主題歌)

ギンギラギンにさりげなく 近藤真彦(昭和56年09.30(1981年) 作詞:伊達歩 作曲:筒美京平


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近藤真彦はこの曲で、この年の
第23回日本レコード大賞・最優秀新人賞を受賞しました。
第12回日本歌謡大賞・放送音楽新人賞を受賞しました。
第10回FNS歌謡祭・最優秀新人賞を受賞しました。

TBSのテレビドラマ 初代『3年B組金八先生』の生徒役でデビューを飾りました。

役名は「星野清」。

学ランを長ランにし中に刺繍を施し、詰め襟を高くして、仲間を引き連れて粋がって闊歩する突っ張り(に憧れる?)役をやって、女の子たちのハートを掴みました。

田原俊彦と同じジャニーズ事務所所属なだけに、彼へのライバル心は強く、1年先にトシちゃんがデビューしたのをものすごく悔しがったという話は有名ですよね。

晴れて、その次の年に昭和55年12月に「スニーカーぶる〜す」でデビューし、この曲がミリオンセラーになり、マッチの楽曲の中で最も売れた曲となったそうです。

また、オリコンでも史上初のデビューシングル初登場で1位を獲得した事でも有名です。

ファンの思いの強さでしょうかね(・o・)

思うに、「たのきんトリオ」あたりからジャニーズ王国の基盤が出来たのでしょうか・・・。

マッチはおばさま達から可愛がられる質なのか、あの美空ひばりに知らずに「おばさん、歌上手いね!」と言って、逆に可愛がられたり、黒柳徹子に「私の潮時(芸能界から身を引く)は、マッチが決めてくれる事になってるの。」と言わせしめたのです。

相手の懐に飛び込むのが上手いマッチは、今やジャニーズたちの一番上に君臨する大御所になりました。

そういう意味では、素晴らしい才能の持ち主だと思います。

マッチのヒット曲です^_^

『ブルージーンズメモリー』
『ギンギラギンにさりげなく』
『情熱☆熱風☽せれなーで』
『ふられてBANZAI』
『ハイティーン・ブギ』
『ケジメなさい』
『愚か者』1987年「第29回日本レコード大賞」を受賞しました。

少女A 中森明菜(昭和57年07.28(1982年)) 作詞:売野雅勇 作曲:芹澤廣明


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昭和57年5月1日に1『スローモーション』でデビュー。

『セカンドラブ』から『水に挿した花』まで、ほぼオリコンで1位を獲得し続けました。

その歌唱力と表現力は素晴らしく、ほとんど公の場に出なくなっている今でも、中森明菜の活躍を待ちわびる人は、私も含め、少なくありません。

繊細すぎる程の神経の持ち主ゆえに、傷つきやすく、ある事をきっかけに、パッタリとテレビの世界から身を引いてしまいました。

ディナーショーなどは開催しているようですが、どうかまた、機会があれば、テレビでお顔を見せてくださいね。

50代の私達は、カラオケでは決まって明菜の曲を唄います。盛り上がりますよ~(^_-)

中森明菜のヒット曲の数々

『少女A』
『セカンドラブ』
『1/2の神話』
『トワイライト』
『禁区』
『北ウイング』
『サザンウインド』
『十戒』
『飾りじゃないのよ涙は』
『ミ・アモーレ』第27回日本レコード大賞を受賞しました。
『SAND BEIGE』第28回日本レコード大賞を受賞しました。
女性ソロ歌手として史上初の2年連続となる日本レコード大賞受賞

『DESIRE』
『TANGO NOIR』
『難破船』
『TATTOO』
『Dear Friend』
『水に挿した花』

なんてたってアイドル 小泉今日子(昭和60年11.21(1985年)) 作詞:秋元康 作曲:筒美京平 編曲:鷺巣詩郎


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キョンキョンも「スター誕生!」出身者ですね(^^)

デビュー当時は、聖子にソックリと言われて、聖子ちゃんカットで”ブリブリ”な感じで『私の16歳』を唄ってたけど、デビューから5曲目の『まっ赤な女の子』あたりで、いきなり髪をショートにしてしまったキョンキョン!

きっともう”押し付けられたイメージ”に我慢が出来なかったのではないだろうか?

ちょっと観にはただの可愛いアイドルに見えたキョンキョンだったけど、中身はいつも冷静で、物事をついつい俯瞰で観てしまうクセがあると本人が何かに書いてた気がします。

そんなキョンキョン。

今の彼女の活躍を見ればわかる通り、しっかりと女優としての自分の立ち位置を確保しましたね。

見た目と違って、強く逞しく、自分をしっかり持ってるキョンキョンが、私は大好きです♡

彼女、アイドルとしても凄かったけど、女優として取った賞の数が半端ないですね。

日本アカデミー賞とか、ブルーリボン賞とか、その他もいっぱい、い~っぱい、獲得してます。

「キョンキョン半端ないって~(泣)」

ちなみに私、彼女の曲の中では、『あなたに会えてよかった』が大好きで、カラオケでは必ず唄います。

思いっきり盛り上がりますよ!(私の周りの人もみんな好きだから(^^))

小泉今日子のヒット曲

昭和57年(1982年)3月21日に『私の16歳』でデビュー
『素敵なラブリーボーイ』
『真っ赤な女の子』
『半分少女』
『艶姿ナミダ娘』
『渚のはいから人魚』
『ヤマトナデシコ七変化』
『TheStardustMemory』
『魔女』
『夜明けのMEW』
『木枯らしに抱かれて』
『学園天国』
『見逃してくれよ』
『あなたに会えてよかった』
「第33回日本レコード大賞 ゴールド・ディスク賞(優秀作品賞)」を受賞しました。
「第33回日本レコード大賞 編曲賞」を受賞しました。
「第33回日本レコード大賞 作詞賞」を受賞しました。

『潮騒のメモリー』(天野春子名義)

ギザギザハートの子守唄 チェッカーズ(昭和58年09.21(1983年)) 作詞:康珍化 作曲:芹澤廣明 編曲:芹澤廣明


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昭和58年(1983年)に7人は、あの聖子ちゃんと同じ福岡県久留米市から
上京してきたんですよね。

彼らの前髪を目が隠れるところまで下げて、顔の横から裾は刈り上げるヘアースタイルとダボダボのチェックのファッションが流行って、真似する男子が続出でした(笑)。

特にリードボーカルのフミヤは女性から大人気で、追っかけの女の子も凄まじい人数に膨れ上がったのです。

そんなチェッカーズも、平成4年(1992年)に解散してしまいます。

この解散を巡って、メンバー間のいざこざが持ち上がり、今もその溝は埋まらないままだそう。

そのため、再結成を望んでいるファンの期待に答えることは、まず不可能と思われてるんです。

50代になったチェッカーズ、ぜひ見てみたいです。

復活が無理なら、カラオケでチェッカーズを唄って、当時の気分で盛り上がるしかないですよね♪

チェッカーズのヒット曲はこちらです↓

『涙のリクエスト』
『哀しくてジェラシー』
『星屑のステージ』
『ジュリアに傷心』
『あの娘とスキャンダル』
『俺たちのロカビリーナイト』
『神様ヘルプ!』
『OH!! POPSTAR』
『Song for U.S.A.』
『NANA』
『I Love you, SAYONARA』
『素直にI’m Sorry』
『夜明けのブレス』

ランナウェイ ラッツ&スター(元シャネルズ)(昭和55年02.25(1980年)) 作詞:湯川れい子 作曲:井上忠夫 編曲:井上忠夫


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昭和55年(1980年)、リーダーの鈴木雅之を中心に大森近辺出身のメンバーが集って、ドゥーワップのグループが結成されました。

当時、黒人音楽であるドゥーワップを唄う人たちが、テレビで唄うなんて初めてだったし、顔を靴済みで黒く塗って唄う姿が非常に珍しくて、衝撃を受けました。

しかも、渋い声で唄う鈴木雅之とコーラスで低音ボイスの「ボンボンボンボ、ドュッビドゥバドゥバ」の声がカッコよくて、一気に人気に火がついたのです。

『ランナウェイ』に続いて、ヒット曲を連発していき、彼らは「ザ・ベストテン」の常連になりました。

が、途中でメンバーの何人かが事件を起こしてしまい謹慎。

しばらく経って謹慎が解けテレビに出るようになると、グループ名が「シャネルズ」から「ラッツ&スター」に変わっていました。

改名によって悪いイメージを払拭するためでしょう。

やがて、メンバーは個々に活動するようになり、グループとしての活動は長年お休み状態で今に至る感じなんですかね?

もう一度彼らの歌をテレビで見てみたいけど、もう無理なのでしょうか・・・。

でも、カラオケでなら、当時の彼らを思い出しながらドゥーワップを唄うことができますね(^_-)

ラッツ&スターのヒット曲はこちらです↓

『トゥナイト』
『街角トワイライト』
『ハリケーン』
『涙のスウィート・チェリー』
『憧れのスレンダー・ガール』
『サマー・ホリデー』
『もしかして I LOVE YOU.』
『週末ダイナマイト』
『め組のひと』
『夢で逢えたら』

てぃーんず ぶるーす 原田真二(昭和52年10.25(1977年)) 作詞:湯川れい子 作曲:原田真二 編曲:鈴木茂&瀬尾一三


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とにかく新しかったです、原田真二の音楽は。

何ていうか、ちょっと前で言えば、宇多田ヒカルがデビューした、あのショッキングな出来事に近いものがありました。

ちょっと筆舌し難い世界なんですよね・・・。

フォーライフ・レコード新人オーディションで、吉田拓郎が発掘して、プロデュースまでするほど、原田真二に惚れ込んだみたいですよ。

『てぃーんず ぶるーす』で先制パンチを食らって、その翌年11月に『キャンディ』、12月に『シャドー・ボクサー』を続けざまにリリースして、その3曲ともオリコンのベスト20に入ってしまったという快挙を成し遂げたことも話題になりました。

今は、音楽でチャリティ活動なども行っているみたいですね。

原田真二のヒット曲はこちら↓

『てぃーんず ぶるーす』
『キャンディ』
『シャドー・ボクサー』
『タイム・トラベル』

あんたのバラード 世良公則&ツイスト(昭和52年11.25(1977年)) 作詞作曲 世良公則


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昭和52年(1977年)10月に『あんたのバラード』がポプコンでグランプリを取ったことから、「世良公則&ツイスト」のテレビへのメジャーデビューのキッカケになりました。

今まで、ロックがテレビの歌番組などに出ることなど無かったのが、「世良公則&ツイスト」が、「ザ・ベストテン」などにガンガン出始めたり、CMソングを手がけたりすることで、ロックの存在が、若い女性にまで知れ渡ったんだそうです。

ロックでメジャーに活躍していると言えば、矢沢永吉ですが、彼は滅多にテレビで唄うことはありませんよね。

しかも、世良公則のルックスや、派手なアクションで絞り出すように唄う唄い方がカッコよくて、女性の人気が凄かったんですよ。

「世良公則&ツイスト」は、私が高校時代に全盛で、友達の間では、世良公則派と原田真二派に分かれてたりしましたね。

ちなみに世良公則と原田真二とCharの3人が「ロック御三家」と呼ばれてたなんて、全然知りませんでした(笑)。

その後、彼らは解散して、それぞれが活躍しているそうです。

「世良公則&ツイスト」が一番輝いていた頃。

その時を知っていることが幸せだなぁって、改めて感じます。

彼らの曲は、50代がカラオケで唄えば、絶対に盛り上がりますよ!

「世良公則&ツイスト」のヒット曲はこちらです↓

『あんたのバラード 』
『宿無し』50万枚を超す大ヒット
『銃爪 (ひきがね) 』
『性』
『燃えろいい女 』
『SOPPO』
『LOVE SONG』
『身に覚え』

勝手にシンドバッド サザンオールスターズ(昭和53年06.25(1978年)) 作詞作曲 桑田佳祐


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彼らが「ザ・ベストテン」に初めて出演した時の格好を憶えていますか?

メンバーみんな揃いも揃って、ジョギングシャツにジョギングパンツという出で立ち。

新宿「ロフト」からの中継で、桑田佳祐は、司会の黒柳徹子の「あなたたちはアーティストになりたいのですか?」の質問に「いいえ、目立ちたがり屋の芸人でーす!」と答えて、いきなり歌を歌いだしたシーンに、どれだけ度肝を抜かれたことか!

冗談だか本気だか分からないあの感じ。

だけど、その曲は、何か胸の奥をくすぐるというか、キュンとしたものに触れたような体験でした。

もしかしてコミックバンドかも・・・。

そう思っていたサザンが、今や日本の音楽シーンには無くてはならない存在になって、そんな事に感動を覚える今日このごろです。

サザンオールスターズの初期のヒット曲はこちら↓

『気分しだいで責めないで』
『いとしのエリー』
『思い過ごしも恋のうち』
『C調言葉に御用心』
『涙のアベニュー』
『恋するマンスリー・デイ』
『いなせなロコモーション』
『栞のテーマ』
『チャコの海岸物語』
『私はピアノ』

70年代ヒット曲をカラオケで唄おう!のまとめ

「70年から80年代」のスーパーアイドルの曲は、いかがでしたか?

80年代までと言っても、80年代の初期の頃までのアイドルのヒット曲だけを厳選しました。

これは、私の中の”アイドルが一番輝いていた時”という強いこだわりで、選曲したからです。

モチロン、80年代中期、後期にも良い曲はたくさんありますが、今回は、50代の私達の心が、本当に柔らかかった時に影響を受けたスーパーアイドルの曲だけにさせていただいたわけです。

若い時に聞いた歌は、いつまでも心に残っているもの。

そんなヒット曲を共有する昭和生まれの50代の仲間が、カラオケで一緒に盛り上がっていただければ幸いです。

今回、紹介出来なかったアーティストの曲は、また別の機会に紹介したいと思っています。

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