春に相応しい歌謡曲を、高齢者の方には懐かしい歌の中から集めました。
春は陽気が温かくなり、みなさんの心も何となく弾むような季節ですね。
そんな春にぴったりの明るくて、元気が出る曲を昭和20年の『リンゴの唄』から、平成14年の『きよしのズンドコ節』まで16曲をドド~ンと紹介しちゃいますよ!
1曲1曲、歌やその裏にある とっておきのエピソードと一緒に解説 していますので、高齢者のみなさんは、当時の思い出を懐かしみながら、唄ってみてくださいね(^^)
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春の歌謡曲!高齢者が盛り上がる16曲
戦後、大ヒットしたそうです
リンゴの唄 昭和20年(1945年)発売
- 作詞 サトウハチロー
- 作曲 万城目正
- 歌唱 並木路子、霧島昇
戦後、初のヒット曲 と言われています。
第二次世界大戦後の初めての、並木路子の主演映画『そよかぜ』(霧島昇も出演)の挿入歌として作られた歌です。
ユーチューブの『リンゴの唄』のコメント欄にこんなものがありました。
「苦しい昭和20年代を思い出します。元気づけてくれて、並木さんありがとうございます。」
終戦直後の絶望しきった日本を、この『りんごの唄』が励ましてくれたと言うお年寄りが、この方のように沢山いらっしゃるのではないでしょうか。
私の母も、この歌を聞くと真顔になって、ジィ~ンと聞き入ってしまいます。
かの美輪明宏さんも、「この歌を聞いて、あの時代、一瞬希望の風が吹いた」と言っているほど。
明るく透き通った声で唄った並木路子さんも、東京大空襲で、お母様を失ったそうです。
しかし、悲しいのは自分1人ではないという思いで、悲しみを跳ね返すように、唄ったという逸話も残されています。
戦争を体験した方にとって、特別な歌なのですね。
上海帰りのリル 昭和26年7月(1951年)発売
- 作詞 東條寿三郎
- 作曲 渡久地政信
- 編曲 林伊佐緒
- 歌唱 津村謙
元々は『上海リル』という歌のアンサーソングとして作られたのが、本家を凌ぐ大ヒットになったのだそうです。
あまりの大ヒットに乗っかり、それに続けて、『リルを探してくれないか』(1952年)、『心のリルよなぜ遠い』(1953年)などの歌も発売されています。
もちろん映画化もされ、これも大人気に。
映画のあらすじでは、上海のクラブでダンサーとして働いていた女性リルに出会った男性が、戦後、日本に引き上げて、同様に日本にいるはずのリルを探し求め、最後は悲劇に終わるという物語です。
戦後のどさくさの時代の結ばれぬ恋という設定が、当時の若者を惹きつけたのでしょうか。
映画の主役は、水島道太郎、香川京子。
みなさん、主役になりきって唄いましょう!
リンゴ追分 昭和27年(1952年)発売
- 作詞 小沢不二夫
- 作曲 米山正夫
- 歌唱 美空ひばり
美空ひばりの全シングル曲の売上の中で、歴代5位の人気曲です。
昭和27年(1952年)4月に始まったラジオドラマ『りんご園の少女』の主題歌として作られ、同じ年に、まだ15歳だった美空ひばりが主演の同タイトル『りんご園の少女』が映画化されました。
おばあちゃん、おじいちゃんの中にも、見た方もいるのではありませんか?
15歳の可愛い美空ひばりが、東北弁で演じている姿が、今見ても、とっても可愛らしいですよね(^^)
物語の舞台となったのは、青森県弘前市。
りんご産業の発展とイメージアップに貢献したという事で、亡くなった後に、ひばりに「青森りんご勲章」が授与されたそうです。
また、舞台になった青森県弘前市のりんご公園には、『リンゴ追分』の歌碑が建立されています。
お富さん 昭和29年(1954年)発売
- 作詞 山崎正
- 作曲 渡久地政信
- 歌唱 春日八郎
“粋な黒塀 ” “ 見越しの松 ” など日本独特のものや風景の言葉が並んで、なんだか浮世絵や歌舞伎を連想する歌だなぁという印象を持ちます。
そこに死んだはずのお富さんが出てくるという、歌謡曲にしては、とっても斬新で、耳に残る名曲です。
これ、実は、岡晴夫が唄う予定だったのですが、レコード会社を移籍したために、急遽、 若手の春日八郎が唄って大ヒット したそうです。
明るく軽快なリズムで、私は、春に唄うのに相応しい歌だという印象を持ちました。
『チャンチキおけさ』同様、老若男女、盛り上がって唄いましょう!
チャンチキおけさ 昭和32年(1957年)発売
- 作詞 門井八郎
- 作曲 長津義司
- 歌唱 三波春夫
『チャンチキおけさ』は、浪曲師として活躍していた 三波春夫が、歌謡界にデビューした時のデビュー曲 です。
当時、集団就職で東京に単身で出てきた若者の郷愁を誘う歌として、大ヒットしました。
レコードが発売した翌年には、同名の『チャンチキおけさ』という映画も作られる程、人気だったようですね。
ところで、「チャンチキ」って、ちゃんと意味があるって知ってましたか?
皿のような形をした打楽器で、阿波踊りなんかにも使われているものだそうですよ(^^)
さらに、「おけさ」とは、『佐渡おけさ』に代表される「おけさ節」から取ったもので、炭鉱夫や船乗りなど労働者の悲哀と意味づけているんです。
つまり、『チャンチキおけさ』は、1人侘びしい都会生活をしている若者が、屋台で安酒を煽りながら、料理の小皿を箸で叩いて気分を盛り上げるという歌なのです。
頑張っていた若い日々を思い出しながら唄ってみてくださいね(^^)
手のひらを太陽に 昭和37年(1962年)放送
- 作詞 やなせたかし
- 原曲 いずみたく
- 歌唱 宮城まり子
作詞家のやなせたかし氏とは、あの『アンパンマン』の作者でもあります。
この歌を作った時のエピソードが、当時、追い込まれていたやなせ氏が、暗いところで手を温めるために懐中電燈を当てると、中に流れている血が赤く浮き上がって見えたそうです。
それを見て、 自分は行きているんだと再発見し、頑張らなきゃと自分を奮起する意味で作った歌 なのだとか。
まさに歌詞の通りですね(^^)
これが最初に流れたのが、NHKの「みんなのうた」で、その時の歌唱が宮城まり子とビクター少年合唱隊でした。
このエピソードを聞くと、なぜ、この歌がみんなに希望を与えるのかが、よく分かります。
時代を超えて歌い継がれる名曲を大きな声で、生きる喜びを感じながら唄いましょう!
こんにちは赤ちゃん 昭和38年(1963年)発売
- 作詞 永六輔
- 作曲・編曲 中村八大
- 歌唱 梓みちよ
これは、まさに、私が生まれた年に出来た歌なんですね(・o・)
私は、両親に抱かれながら、この歌を唄ってもらっていたのでしょうか?
まだ、聞いたことはありませんが。
この歌は、 作詞家の永六輔が作曲家の中村八大の第一子誕生を祝って書いた詩 だそうです。
歌詞の中に私がママよというのがあるので、てっきり、ママの心情を唄ったものかと思っていましたが、永六輔は、パパの心情を込めて作ったと言われています。
ともあれ、何とも言えずに微笑ましい幸せな風景が浮かぶ歌です。
当時のベビーブームに乗って流行ったこの歌を、高齢者の方がまだ若いパパやママだった頃を思って、唄いましょう(^^)
幸せなら手をたたこう 昭和39年(1964年)発売
- 作詞 木村利人
- 原曲 アメリカ民謡
- 歌唱 坂本九
この歌は、てっきり童謡として作られた歌だと思っていましたが、たまたま早稲田大学の名誉教授・木村利人が、フィリピンでこの原曲を耳にして、それに詩をつけて唄っていたら、偶然それを聞いた坂本九が、いずみたくなどの力を借りて、レコード化したものだそうです。
世に出るべくして出た歌と言えますね。
もちろん、童謡としても、子どもたちに広く愛されています。
とてもシンプルな歌詞だけど、この歌を唄うと元気が湧いてくるようです。
みんなで唄いましょう!
松の木小唄 昭和40年(1965年)発売
- 作詞 藤田まさと/夢虹二
- 作曲 不詳
- 歌唱 二宮ゆき子
この歌は、宴会などのお座敷で唄うゲイシャ小唄で、昭和23年『トンコ節』、昭和27年『ゲイシャ・ワルツ』、昭和35『おヒマなら来てよネ!』、昭和39年『お座敷小唄』の流れからの、締めくくりのゲイシャ小唄と言われています。
芸者が惚れている男に胸を焦がして、相手の男性を一途に思うという歌です。
歌は6番まであって、1番と6番は男女一緒に、2番と4番は女性が、3番と5番は男性が唄うと盛り上がりますよ!
お色気いっぱいに唄って盛り上がりましょう!
世界は二人のために 昭和42年(1967年)発売
- 作詞 山上路夫
- 作曲・編曲 いずみたく
- 歌唱 佐良直美
佐良直美の活躍は、当時、子どもだった私の脳裏にも強烈に焼き付いています。
デビューして、初めてのこの曲が大ヒットして、それから、紅白にも連続出場し、司会を何度も務めるなど、彼女は目を見張る存在感を放っていました。
東京オリンピックも成功し、時代は高度成長の勢いで日本が元気だった頃、この“ 世界は二人のためにあるの ”と、この世の春に浸水したのも、当然だったわけです。
今の時代も気持ちだけは、この時のように元気で明るくいたいものですね(^^)
好きになった人 昭和43年(1968年)発売
- 作詞 白鳥朝詠
- 作曲 市川昭介
- 歌唱 都はるみ
都はるみの代表曲ですね。
歌詞は、好きな男性と離れて暮らす女性が、“ お嫁にも行かずに待っているわ ”というものですが、明るくノリのいい曲調で、なぜか唄う方も聞く方も、テンションが上がってしまう歌です。
特に、都はるみの独特の詰まるようなコブシの入れ方や、視線を斜め上にしながら体を揺らして唄うスタイルを真似しながら唄う人が沢山いましたね(^^)
森昌子もその1人です。
カラオケなどで唄う時は、キーを下げて唄わないと、ちょっと高すぎるかもしれません。
とにかく、この歌を唄うと場の雰囲気が盛り上がること間違えなしです!
ドリフのズンドコ節 昭和44年(1969年)発売
- 作詞・作曲 不詳
- 補作詞 なかにし礼
この曲は、当時、とても売れましたよね~
まだ、志村けんが加入する前のドリフのメンバーで唄った歌で、1番から5番を、加藤茶、仲本工事、高木ブー、荒井注、いかりや長介と順番に唄い、6番をメンバー全員で唄っていました。
1人の男性が、青春期から高年期まで、様々な女性との出会いの思い出から、女房に逃げられるところまでを唄った歌で、笑いの中にも 多くの人の共感を呼びました 。
特に男性の人は、この歌を唄って盛り上がってください!
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せんせい 昭和47年(1972年)発売
- 作詞 阿久悠
- 作曲 遠藤実
- 歌唱 森昌子
私が幼い頃、初めて買ったレコードが『せんせい』でした。
森昌子は、当時「スター誕生」というオーディション番組で、中学2年生の子どもが、1日でスターになるという夢をリアルに見せてくれました。
その頃の子どもたちはみんな、彼女のジャパニーズドリームに釘付けになったものです。
演歌調なんだけど、ポップスでもあるというところも、若い人たちに受け入れられた理由だと思います。
誰にも言えない先生への恋心を、少女の頃に戻って、唄ってみましょう!
北国の春 昭和52年4月(1977年)発売
- 作詞 いではく
- 作曲 遠藤実
- 歌唱 千昌夫
北国出身の男性が、都会でふるさとの春を思って唄う歌。
故郷で1人、都会に出ていった息子を思って、時折、小さな包を送ってくれる優しい母親や、若き日の恋などを懐かしむ気持ちは、どなたの心の中にもあるのではないでしょうか?
ヨレヨレの外套に丸メガネ、荷物を詰めた古びたカバンを持った出で立ちで唄う千昌夫の姿に、思わずホロリとしましたね。
青葉城恋唄 昭和53年(1978年)発売
- 作詞 星間船一
- 作曲 佐藤宗幸
- 歌唱 佐藤宗幸
これは、70代80代の方にとっては、新しい曲というイメージではありませんか。
この歌の歌い手であるさとう宗幸が、2019年現在70歳ですから、今の70代の方は、さとう宗幸と同じ30代で、今の80代の方は40代の時に流行った歌という事になりますね。
子育ても一段落された頃ではないでしょうか。
この歌を聞くと、仙台の美しい街並みや自然が思い浮かんで来ますよね(^^)
特に、みんなで唄うと、綺麗な旋律が部屋いっぱいに広がりそうです。
男性にも、女性にもおすすめです。
でも、実はこの歌、失恋ソングって知ってましたか?(笑)
きよしのズンドコ節 平成14年(2002年)発売
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- 作詞 松井由利夫
- 作曲 水森英夫
- 歌唱 氷川きよし
なぜ氷川きよしは、おばあちゃん達にこんなに人気があるのでしょうか?
うちの86歳になる母も、氷川きよしの大ファンなんです。
王子様みたいにスラリと伸びた身長に甘いマスク。
まるでアイドルみたいなルックスなのに、演歌を唄わせれば、力強い声の張りとコブシが繰り出され、そんなギャップが堪らないのでしょうか。
まさに“ 平成の股旅野郎 ”というキャッチフレーズの通りですね。
おばあちゃんたちは、彼の事を「若様」と呼ぶそうです。
さて、そんなきよしのヒット曲の中でも、この『きよしのズンドコ節』は、誰もが知っていて、明るくてノリノリの曲です。
「ズン、ズンズンズンドコ♪」「きよしーーー!!!」と、声援を贈りながら、唄ってくださいね(^^)
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春の歌謡曲!高齢者が盛り上がる16曲のまとめ
いかがでしたか?
高齢者の方には、どれも懐かしく思い出深い歌ばかりだったと思います。
どれも明るくて心躍る曲ばかりですので、唄えば気持ちがスカッとしますよ!
ぜひ、ご家族と一緒にカラオケなどで唄って下さいね(^^)