哀川翔さんのプロフィール

  • 本名:福地 家宏(ふくち いえひろ)
  • 生年月日:1961年5月24日
  • 出生地:徳島県徳島市
  • 出身地:鹿児島県鹿屋市
  • 身長:178cm
  • 血液型:AB型
  • 学歴:
  • 鹿屋市立鹿屋小学校
  • 鹿屋市立第一鹿屋中学校
  • 鹿児島県立高山高等学校
  • 東京工学院専門学校

独特の存在感でVシネマの顔になり、後年は朝ドラなどでも存在感を出した人です。

慕われる理由は、派手な成功談だけではなく、家族の事情と若い頃の選択にあります。

家族の背景と、5歳での別れ

先祖は佐賀鍋島藩の家臣・福地家と伝えられています。

祖父の家久さんは東京帝国大学法学部を出て、昭和恐慌のあとに満州へ渡りました。

終戦直前、ソ連の侵攻に伴う混乱の中で祖父は死亡。

祖母と幼い娘たちも満州で亡くなり、残された弟妹だけが日本へ戻った、という重い家系の話が残っています。

父・家興さんは早稲田大学を出て、海上自衛隊の前身組織に入り、哨戒機の機長になりました。

1961年に長男の家宏さん(哀川翔さん)が生まれ、転勤で岩国、宇都宮、館山と移り住みます。

転機は1967年1月16日です。

父が乗っていたS2F-1が徳島沖の訓練中に別機と空中接触し、乗員全員が殉職しました。

翔さんは当時5歳。母は臨月だったため、亡骸の確認を子どもが担った、と後年語られています。

テレビに父の名前が出たことだけは、はっきり覚えているそうです。

その後、母の実家がある鹿児島県鹿屋市で育ちました。

学生時代から上京まで

小学生の頃からけんかを繰り返し、中学では柔道部の厳しい練習で体と根性をつけました。

高校では器械体操部。

後の一世風靡セピアの動きに、この時期の身体能力がつながったと言われます。

当時は体育教師を目指し、体育大学を希望していましたが、願書の出し忘れで受験できませんでした・・・

地元で運転手の誘いもあった一方、音楽や映像を学ぶために東京工学院専門学校へ進みます。

専門学校時代は雑誌ライターのバイトをし、『Popteen』では「カケ メグル」「ショウ・ロンリーリバー」などのペンネームで書いていました。

夜は新宿のディスコで踊っていたところ、路上パフォーマンス集団「劇団一世風靡」に関わり、そのままメンバー側へ入っていきます。

上司から「原稿はいつでも書けるが、レコードはなかなか出せない」と言われたことが、芸能の道を選ぶ決め手になった、と本人が語っています。

一世風靡セピアでブレイク

1984年、『前略、道の上より』で一世風靡セピアとしてレコードデビューしました。

リーダーは小木茂光さん、メンバーには柳葉敏郎さんらもいました。

当時の決め事として、次のような「誓い」があったと伝えられています。

  • 俺が主役を演じること
  • メンバーは永久に7人ではなく、競いの中で選ばれると思え
  • 早く家庭をもつこと
  • 引き際が肝心
  • 音楽バカにはならず、普通の男でいること
  • 暴力は一般市民へ及ぼすなかれ
  • 酒は飲まない
  • 守らなければ即クビ

1986年には『青の情景(シーン)』でソロデビューしています。

長渕剛さんからの役者デビュー、そしてVシネマ

役者に進んだきっかけは長渕剛さんです。

芝居の経験がなく「できない」と断ったところ、「大丈夫、できるから」とドラマへ出るよう言われました。

1988年の『とんぼ』で長渕さん演じる英二の舎弟・常吉を演じ、新人とは思えない存在感を残します。

映画では『オルゴール』などもこの流れに続きます。

1990年、Vシネマ『ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ〜』(安部譲二原作『泣きぼくろ』の映画化)で主役を張り、レンタル市場で大きく当たりました。

これが後のVシネマ隆盛と「哀川ブランド」につながります。

1991年の『獅子王たちの夏』でもアウトローを力演し、以降は『修羅がゆく』『借王』などシリーズ作が続きました。

一方で『うなぎ』『鬼火』などの助演でも評価され、1995年には『BAD GUY BEACH』で監督デビュー。

2004年の『ゼブラーマン』で主演100本を達成しています。

哀川翔さんの若い頃、まとめ

哀川翔さんの若い頃は、華やかなストリートパフォーマンスの印象だけではありません。

幼い頃の父親との別れ、鹿屋での育ち、願書を出し忘れた進路変更、ライターからセピアへ、そして長渕さんに引っ張られて役者になる、という段階があります。

血筋や外見の話より、「人を引きつける力」と引き際を意識した生き方が、長く支持された理由に近いと思います。

半生を追うと「哀しみを川に流して翔びたて」という名前の意味がよく分かります。